教育塔
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第81回教育祭は、

2016年10月30日(日)午前10時

から開催します。

由来
1934年9月21日、突如大暴風雨(後に室戸台風)が関西地方を襲いました。秒速60mという強風及び大高潮はあらゆる方面に大惨事を及ぼしました。学校においては始業の前後でもあり多数の木造校舎が倒壊し、教職員25名をはじめ600名を超す子どもたちが亡くなるなどの甚大な被害がありました。災害直後、大阪の教育界は二度とこのような惨事が起こらないことを願って、子ども、教職員を追悼し、その名を永くとどめるため、記念碑の建設を発議し、帝国教育会が臨時総会において記念塔を建設することを決定しました。全国の教育関係者はこの呼びかけにこたえ、児童、生徒、教職員、一般有志の方から32万円を超える寄付が寄せられ、大阪城公園にそびえる塔ができました。

1935年(昭和10年)9月地鎮祭、1936年(昭和11年)8月定礎式、1936年(昭和11年)10月30日に竣工の運びとなり、この日に第1回教育祭が行われました。以来、教育祭は例年10月30日に挙行されてきました。

塔の建築には教育塔建設費に17万5千円、式典費、準備費等で合計32万円ほどがかかりました。塔の設計は公募され設計者は島川精さん、塔の正面の浮彫りは長谷川義起さんが選ばれました。彫刻は災害時の情景と講堂での訓書清読の場面が描かれています。

祭典は建設当時から神式あるいは仏式で行われていましたが、日本教育会が解散した後(1948年)日本教職員組合が塔の維持・管理を受け継いでからは、宗教色をなくすよう努め、現在は無宗教形式で行われています。1981年には、教育塔内正面の塔心文「咸一其徳」(咸其の徳を一にす)から「やすらかに」に改めました。塔心説明文についても1981年10月に塔芯裏の「説明文」を戦前調のものから現代風に改め、1986年には「合祀」を「合葬(がっそう)」に、「祭主」を「主催者」に「奉納音楽」を「追悼音楽」に、献花中の音楽を「越天楽」から「葬送曲」に変更しました。

第50回(1985年)教育祭では180人が合葬され、特別合葬者の中には御巣鷹山での日航機墜落事故(1985年)の犠牲者が含まれています。

戦後50年の節目に教育塔の外観や内部の大修理を行うとともに、第60回(1995年)教育祭では154人が合葬されました。阪神・淡路大震災で自宅の倒壊や火災により亡くなった121人を特別合葬するにあたり「教育塔説明掲示板」を全面的に書き改めました。また60回を記念する行事も行われました。2002年から2005年にかけては、教育塔前広場の砂利補充、塔の屋根全体のサビ止め、広場の側溝の工事、教育塔の全体の清掃を行いました。
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