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教職員1人、教育関係者3人をあらたに合葬
教育塔前で第82回教育祭を開催しました。

第82回教育祭合葬者

今回の新たな合葬者は4人で、その内訳は、教職員1人、教育関係者3人です。

教育現場では、常態化する多忙な状況や激務の中で無理を重ね、心身の健康破壊がすすんだ結果、亡くなられた教職員も少なくありません。多忙な状況の解消はもとより、病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等が求められています。

合葬者4人 
教職員1人 児童・生徒0人 保護者・校医0人 教育関係者3人 特別合葬0人
合  葬 教 職 員 児童・生徒 保護者・校医 教育関係者 特別合葬
交通事故 0 0 0 0 0
教育活動中 1 0 0 0 0
病死 0 0 0 3 0
その他 0 0 0 0 0
地震災害 0 0 0 0 0
大阪城公園内の教育塔前で第82回教育祭を開催

1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建てられたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。

第82回教育祭は10月29日(日)に開催され、全国各地から450人が参列しました。今回は、新たに4人が合葬され、合葬者総数は27,258人となりました。

10時からはじまった祭典では、主催者を代表して、泉雄一郎日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。その中では「東日本大震災から6年半、熊本地震から1年半が経過した現在も、故郷を離れ、転居先、転校先での暮らしを余儀なくされている子どもや、放射線の影響に恐怖をいだきながら学校生活を送らなければならない多くの子どもたちがおり、私たちはこうした子どもたちに寄り添い続けなければなりません」と述べました。そして引き続き「子どもや教職員の心のケア、子ども・保護者・地域住民を守る避難所としての学校とその教育環境のあり方や、自然災害の教訓に学ぶ創造的教育実践の深化に努めていく」ことを誓いました。また、教職員の長時間労働の実態についても、その是正にむけとりくみをすすめていく決意を示しました。

今回合葬された上ノ山雅惠さんとともに働いた教職員の代表として、岩手県の佐々木友美子さんは、追悼の詞を述べました。常に深い愛情と信念を持って子どもたちに接し、最後の勤務校となった学校でも、上ノ山さんは子どもたちとともに全力で文化祭の合唱や部活動にとりくんでいたことに触れ、佐々木さんは「雅惠さんの思いが子どもたちにしっかりと届いている場面は、数え上げればきりがありません」と在りし日の上ノ山さんを偲びました。また、引率の海外派遣から戻って間もなく帰らぬ人となった上ノ山さんに対し、「休日にゆっくりと休めることはほとんどなかったと伺っています。常に子どもたちや職場の仲間のことを一番に考え、ご自分の健康に気を配るゆとりがなかったのかもしれません。今となっては、無念でなりません」と無念の意を表しました。最後に、「あなたは、子どもたちだけでなく職場の仲間にとっても大きな支えでした。わたしたちは、あなたの分まで岩手の子どもたちのために精一杯努力していきます。教え子たちも、あなたの深い愛情を心に持ち、今度は伝える側となって歩んでいくことと思います。雅惠さん、わたしたちを見守っていてください」と述べました。

また、遺族を代表し、楠本真樹さんが謝辞を述べました。大阪府教職員組合中央執行委員長として活躍していた半ばで体調を崩し、2016年に他界した楠本匡さんについて、真樹さんは、「ほとんど家にはおらず、部活や仕事に忙しそうな父ではありましたが、そんな父から自然と学び誇りに思っていることがあります。私は差別が大嫌いです。幼少期、支援学校など様々な学校に連れて行ってくれました。お前とこの子は何がちがう?と聞かれ、意味が分からなかったのを覚えています。父の正義感、人間性は私に刻まれているのだと思います。私は教育の現場に携わってはいませんが、今後揺るがないこの想いをもってこれからも邁進したいと思っております」と語りました。最後に「遺族には、何年経っても語りつくせぬ思いや無念の思いが胸の中に渦巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、これからを生きて行こうと思います」と述べました。

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