★回数をクリックすると各回の詳細に移動します。
第89回(2024.10.27) 第88回(2023.10.29) 第87回(2022.10.30)
第86回(2021.10.31) 第85回(2020.10.25) 第84回(2019.10.27) 第83回(2018.10.28) 第82回(2017.10.29)
第81回(2016.10.30) 第80回(2015.10.25) 第79回(2014.10.26) 第78回(2013.10.27) 第77回(2012.10.28)
第76回(2011.10.23) 第75回(2010.10.31) 第74回(2009.10.25) 第73回(2008.10.26) 第72回(2007.10.30)
今回の新たな合葬者は5人で、その内訳は、教職員2人、児童・生徒1人、教育関係者2人です。
児童・生徒のおひとりは交通事故で亡くなられています。すべての子どもたちが安心・安全に登下校できる通学路の確保を、保護者・地域・教職員が一体となってすすめていくことがとても大切です。
また、教育現場では、常態化する長時間労働や激務の中で、心身の健康がむしばまれた結果、亡くなられる教職員が増えています。病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等はもとより、多忙な状況の解消や長時間労働の是正がなによりも求められています。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 教育関係者 | 特別合葬 |
交通事故 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
教育活動中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
病死 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 |
その他 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建てられたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、永く記憶にとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。
第89回教育祭は、10月27日(日)、この間新型コロナウイルス感染症の影響で参列のかなわなかったご遺族も同席のもと、開催されました。今回は新たに5人が合葬され、合葬者総数は27,298人となりました。
10時からはじまった祭典では、主催者を代表して、梶原貴日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。冒頭、「能登半島地震」及び豪雨災害で亡くなられた方々への哀悼の意を表するとともに、多発する大規模災害に対し、教育関係者として防災・減災のとりくみが重要であることを再確認しました。また、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、イスラエルの圧倒的軍事力によるパレスチナへの攻撃などにふれ、一日も早い戦争の終結を願いました。加えて、いじめ、不登校、児童虐待が過去最多となり、子どもの自死が増加しているなどの深刻な問題に言及し、子どもの権利条約国内批准30年の節目を11月に迎えようというなか、すべての子どものいのちや権利が保障される社会するための実効ある施策推進を求めていくことを誓いました。依然として非常に深刻な問題となっている教職員の長時間労働について、8月の中教審答申は教職員の立場のみならず、教育を受ける子どもの立場からも最低限の事項であることを強調し、早急な整備が必要であることを強く訴えました。
今回合葬された宮内さんにむけて、同僚の奥山さんが追悼の詞を述べられました。奥山さんは、宮内さんが赴任する際に校長から、「夜間学級への赴任を熱望した先生が来る」と聞き、教職員みんなで喜び、楽しい職場の友としておつきあいしたこと、美術の指導の熱心さもさることながら、韓国語が堪能だったことなどの思い出について語られました。結びに、「いつも生徒さんのことを一番に考え、新入生歓迎集会の前も体調が悪い中で無理を重ねてしまい、帰らぬ人となられたことがとても残念です。今も私たちの悲しみは癒えません。けれども、宮内先生の温かい人柄を思い出しつつ、これからも頑張っていこうと思います。宮内先生も空の上から、いつまでも見守っていてください」と述べたのち、ご遺族、夜間学級の生徒のみなさんと一緒に故人を偲び合唱を行い、追悼の詞を締めくくりました。
また、遺族を代表し市川さんのご遺族奥田さんが謝辞を述べられました。市川さんが通信大学で小学校教員の免許を取得するような、日頃より努力を惜しまない人だったこと、特別支援学級の担任を主につとめ、子どもたちや保護者からの相談にも丁寧に対応していたことにふれ、自身も特別支援教育に長くかかわり、会えば特別支援教育の現状や、お互いの悩みなどを話していたと語られました。最後に「インクルーシブ教育をすすめていくこと、子どもの将来をみすえて今できることを考え実行することを大切にすること、周りの人のために役立つことをすること。典子からたくさんのことを学びました。あまりにも突然のことで本人はやり残したことがたくさんあったと思いますが、故人が遺していった意思を引き継いでいくことがわたしたち家族の役目だと思っています。本日の教育祭のためにお世話くださいましたみなさまに対しまして、遺族一同心よりお礼を申し上げ、遺族代表謝辞とさせていただきます」と締めくくりました。
今回の新たな合葬者は7人で、その内訳は、教職員1人、児童・生徒2人、教育関係者4人です。
児童・生徒のおひとりは交通事故で亡くなられています。すべての子どもたちが安心・安全に登下校できる通学路の確保を、保護者・地域・教職員が一体となってすすめていくことがとても大切です。
また、教育現場では、常態化する長時間労働や激務の中で、心身の健康がむしばまれた結果、亡くなられる教職員が増えています。病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等はもとより、多忙な状況の解消や長時間労働の是正がなによりも求められています。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 教育関係者 | 特別合葬 |
交通事故 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
教育活動中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
病死 | 1 | 1 | 0 | 4 | 0 |
その他 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建てられたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。
第88回教育祭は、10月29日(日)、この間新型コロナウイルス感染症の影響で参列のかなわなかったご遺族も同席のもと、開催されました。今回は新たに7人が合葬され、合葬者総数は27,293人となりました。
10時からはじまった祭典では、主催者を代表して、瀧本司日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。その中では、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻や近年多発している大規模自然災害にふれ、一日も早い戦争の終結を願うとともに、安心で持続可能な社会につながる社会のあり方や生活のあり方を根本から問い直すこと、またすべての子どもたちが安心して暮らし、学ぶことができる社会の必要性を訴えました。 また、子どもの貧困や貧困の連鎖が社会問題化し、いじめや不登校、児童虐待の件数が過去最多となる中、発足したこども家庭庁に対し、すべての子どもの命や権利が保障され、居場所のある家庭や学校・社会になるよう、そのとりくみに期待をするとともに、発足と同時に施行されたこども基本法の理念のもと、子どもどうし、子どもと教職員、保護者・地域と教職員のつながりを大切にし、子どもたちが互いを認め合い、未来への夢や希望を持てるようにしていかなければならないと述べました。 そして、依然として深刻な問題である教職員の長時間労働について、多くの教職員が過労死ラインを越えていること、精神疾患による休職者も過去最多となったことにふれ、「今、学校現場が抱える問題の解決にむけ、私たちが考え得るあらゆる方策を、聖域を設けることなく早急に実行することが求められています。私たちは、長時間労働の是正をはじめとした学校現場が抱える問題の改善のとりくみをすすめてまいります。」と決意を述べました。また、東日本大震災から12年、熊本地震から7年が経過した現在も復興への道のりは未だ途上にあり、故郷を離れ、転居先、転校先での暮らしを余儀なくされている子どもたちに対し、寄り添い続けなければならないことも再度確認しました。
今回児童・生徒の部の合葬者にむけて同級生のみなさんで作成されたお別れのことばを、代表として、中村さん、中倉さんが述べました。お二人は、「小学校での一番の思い出は、やっぱり修学旅行です。4人のメンバーで、遊園地のアトラクションや昼食、買い物も楽しみました。何度も何度もジェットコースターに乗って、最後は乗り過ぎてクタクタになるほど楽しみました」と、小学校時代の思い出にふれ、「ハル君がいなくなったあとに、もう一度あの遊園地に行く機会がありました。遊園地のそこかしこにハル君の記憶が残っていて、「早くジェットコースター乗ろ」とはしゃいでいた、あの日のハル君の笑顔を思い出したら、今ここにハル君のいないことが、本当に寂しくて、切なくなりました」と、死を悼みました。また、中学校に入学してから陸上部で一緒に過ごした日々にふれ、「僕たちは、ハル君と一緒にタスキを付けて、ハル君と一緒に駅伝に出たかった。今年も、駅伝のシーズンが始まります。僕たちは、ハル君の分まで、精一杯走っています」と、晴琉さんに思いを伝えました。最後に、「僕たちは、ハル君のことを忘れません。いつか自分で車を運転する日が来ても、ハル君のことを思い出して、絶対に同じ悲しみを繰り返さないよう、ハル君のことを思い続けます。ハル君、僕たちは、いろんなことに精一杯チャレンジして、ハル君の分まで生きるよ。交通安全にも十分に気を付けて、子どもの安全を守れる大人になるよ。ハル君、空から、僕たちを見守ってください。あの笑顔で、僕たちを応援してください。ハル君、僕たちは、君を忘れないよ」と誓い、お別れのことばを締めくくりました。
また、遺族を代表し、岡さんのご遺族の古屋さんが謝辞を述べました。教員として長年にわたり教育活動に尽力され、退職後も市議会議員等を務められた岡さんについて、古屋さんは「父を知っている多くの方々は父のことを愉快で楽しい人柄だとおっしゃってくれていましたが、脳裏に浮かぶ父の顔は眉間にしわの寄ったちょっと怒ったような表情ばかりです。父は仕事のことなど家で話すこともなく、幼い頃の私は父がどんな仕事をしているのか皆目見当がつかなかったものです。父と同じように教壇に立つことになって、父の仕事への向き合い方や家族への気遣いを実感したように思います」と語りました。また、「なかなか採用試験に合格することができなかった私を一番身近で応援してくれたのが父でした。弱気になった私を叱咤激励してくれたからこそ、私は生徒たちの前に立つことができるようになったのです」と、在りし日の故人を偲びました。最後に、古屋さんは、何事にも全力でとりくむ岡さんの生き方にふれ、「常に新しいものを取り入れようとする気概があり、多くのことにパワフルにチャレンジし、何事も楽しんでいた父は私にとって人生の師でもあります。私も父のように多くのことに挑戦しつづけていきたいと思います。そして故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、しっかりと前を向いて生きていく所存でございます」と述べました。
今回の新たな合葬者は7人で、その内訳は、教職員2人、教育関係者5人です。
教育現場では、常態化する長時間労働や激務の中で、心身の健康がむしばまれた結果、亡くなられる教職員が増えています。病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等はもとより、多忙な状況の解消や長時間労働の是正がなによりも求められています。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 教育関係者 | 特別合葬 |
交通事故 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
教育活動中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
病死 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 |
その他 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建てられたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。
第87回教育祭は、10月30日(日)、第86回で参列のかなわなかったご遺族も同席のもと、開催されました。今回は新たに7人が合葬され、合葬者総数は27,286人となりました。
10時からはじまった祭典では、主催者を代表して、瀧本司日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。その中では、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻や温暖化の影響による相次ぐ自然災害、未だ収束しない新型コロナウイルス感染症の現状等にふれ、一日も早い戦争の終結を願うとともに、安心で持続可能な社会につながる社会のあり方や生活のあり方を根本から問い直すこと、またすべての子どもたちが安心して暮らし、学ぶことができる社会の必要性を訴えました。また、子どもの貧困や貧困の連鎖が社会問題化し、いじめや不登校、児童虐待の件数が過去最多となる中、23年4月に発足するこども家庭庁に対し、すべての子どもの命や権利が保障され、居場所のある家庭や学校・社会になるよう、そのとりくみに期待をするとともに、22年成立したこども基本法の理念のもと、子どもどうし、子どもと教職員、保護者・地域と教職員のつながりを大切にし、子どもたちが互いを認め合い、未来への夢や希望を持てるようにしていかなければならないと述べました。そして変わらず深刻な問題となっている教職員の長時間労働については、22年9月に公表された(公財)連合総研の調査において、在校等時間が15年調査と比べても減少しておらず、依然として過労死ラインを越えていることが明らかになったことにふれ、「働き方の問題は子どもとの関わりや学びにも影響を及ぼす重要な課題であり、長時間労働の是正につながる実効性ある方策を求めるとともに、具体的な改善のとりくみをすすめていく」と決意を述べました。また東日本大震災から11年、熊本地震から6年が経過した現在も復興への道のりは未だ途上にあり、転居先、転校先での暮らしを余儀なくされている子どもや、放射線の影響に不安をいだきながら学校生活を送らなければならない子どもたちに対し、寄り添い続けなければならないことも再度確認しました。
今回合葬された宮川さんと職場をともにした教職員の代表として、伊藤さんが、追悼の詞を述べました。伊藤さんは「尊敬する先輩、宮川先生へ」と志半ばで病に倒れ亡くなった宮川さんに対し、「宮川先生と初めて会ったのは、昨年度の4月でした。2人とも異動してきたばかりで、ぎこちない挨拶や会話をしたのを覚えています。それからは、席も近く歳も近いということもあり、少しずつ話をすることが増えていきましたね。私は、よく授業のことや子どもへの指導についてたくさん相談をさせてもらいました。宮川先生は、疲れている時や忙しい時でも嫌と言わずに親身になって相談にのってくれました」と、仕事終わりに食事をしながら話に花が咲いたことなど、宮川さんとの思い出を偲びました。また3年生や1年生の担任として、子どものことを常に考え、子どもたちと接する宮川さんが仲良く楽しそうに授業をしたり遊んだりする姿を日々見てきたといいます。そのような最中、つい数日前まで連絡を取っていた宮川さんの急な訃報に、伊藤さんは信じることができず、今でも「急に目の前に現れていつものように笑い話ができるのではないかと思っています」と述べました。また、「自分の中で上手くいかないことや悩むことがあった時は、宮川先生ならどうするだろうかと考えてしまいます。その時は、優しくときに厳しくアドバイスをくれた宮川先生の姿が頭の中に浮かびます。宮川先生は常に私の心の中にいると思っています。これからも困ったことや悩みがあればたくさん相談させてください。そして私だけでなく、学校の全員を、宮川先生の優しくときに厳しい視線で温かく見守っていてください」と呼びかけました。最後に、「さよならを言うともう会えなくなりそうなので言いません。また会える日まで」と述べ、追悼の詞を締めくくりました。
また、遺族を代表し、冨井さんのご遺族の松村さんが謝辞を述べました。教職員組合の立ち上げにかかわり、書記長・委員長を歴任し、退職後も退職教職員連絡協議会の副会長として活動に注力してきた冨井さんについて、松村さんは「父は社会科教員として定時制高校に30年以上勤め、生徒と向き合う学校現場を何より大切にし、人権教育、平和教育、解放教育の推進など、さまざまな人達の学習権を保障するための運動に取り組み、多忙な教員生活を送っていたようです」と述べ、多忙な中でも「私たち3人兄妹が子どもの頃は、授業参観や個人面談に出向いたり、お弁当や晩ご飯を準備したりして、家事や子育ても母と分担しながらこなしていました」と、在りし日の冨井さんを偲びました。退職後も大学の非常勤講師や戦争史研究会等の研究活動や、退職者会の運営など精力的に活動する中、退職者の交流会の下見に出かけた先での不慮の事故にまきこまれた冨井さんに、松村さんは「父が退職後に熱心に活動した退職者会は、『教え子を再び戦場に送らない』、その理念のもと組織されたと聞いております。父は現役の時から日本の近現代史、特に戦争について熱心に研究していました。平和教育や人権教育を次の世代に引き継ぐために頑張っていたのだと思います。不慮の事故で亡くなるときもその活動の最中でした。突然のことで本人もやり残したことがたくさんあったと思いますが、父が遺していった意思を引き継いで行くことが私たち、次の世代の役目だと思っています」と誓い、謝辞を締めくくりました。
今回の新たな合葬者は6人で、その内訳は、教職員5人、教育関係者1人です。
教育現場では、常態化する長時間労働や激務の中で、心身の健康がむしばまれた結果、亡くなられる教職員が増えています。病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等はもとより、多忙な状況の解消や長時間労働の是正がなによりも求められています。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 教育関係者 | 特別合葬 |
交通事故 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
教育活動中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
病死 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
その他 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建てられたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。
第86回教育祭は、10月31日(日)、昨年新型コロナウイルス感染症拡大防止のためお呼びできなかった第85回のご遺族も同席のもと、開催されました。今回は新たに6人が合葬され、合葬者総数は27,279人となりました。
10時からはじまった祭典では、主催者を代表して、清水秀行日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。その中で、前年来、世界的な規模で感染が拡大した新型コロナウイルスによる社会・経済に与える影響は今も続き、学校では登校そのものを控える子どもや給食時間の短縮、オンライン授業の併用による分散登校などが行われ、感染予防対策の徹底や様々な行事等が縮小・延期・中止になるなど、いまだに子どもたちの学びの機会が制限されている実態について述べました。そして、相変わらず深刻な問題となっている教職員の長時間労働について、引き続き各学校において勤務時間管理の徹底と「上限方針」の遵守、それが可能となるような業務の削減など、働き方改革を着実にすすめていくことを訴えました。
そして東日本大震災から10年、熊本地震から5年が経過した現在も復興への道のりは未だ途上にあり、転居先、転校先での暮らしを余儀なくされている子どもや、放射線の影響に不安をいだきながら学校生活を送らなければならない子どもたちに対し、寄り添い続けなければならないことを再度確認しました。
また、遺族を代表し、第85回教育祭で新たに合葬された小山さんのご遺族が謝辞を述べました。小学校の主幹教諭として、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による休校明けに子どもたちがすぐに植物観察を再開できるよう、硬くなってしまったの土の掘り起こし作業を手伝おうとトラクターで勤務校へ向かう途中、不慮の事故により亡くなった小山さんについて、「主人は、溌剌としてユーモアに溢れた教師でした。反面、大変真面目で、専門の理科の授業研究に妥協がなく、子どもに寄り添った授業展開をしようと日々研鑽し、後任の指導にも力を注いでいました。部活動にも熱心で、ソフトテニス部の顧問として情熱を傾け、厳しい練習の中にも愛情を持って接し、部活動を通して子どもたちの成長を後押ししていた姿が今でも目に浮かびます」と在りし日の小山さんを偲びました。また、「4月から新しい立場で子どもたちや学校のために今まで以上に働きたいと、夜ごと語っていたので、家族以上に、主人が一番悲しく、無念だったと思います」と、子どもや学校のために力を尽くしながらも志半ばで亡くなられた小山さんの思いを述べられました。最後に、「この一年半、数々の人の優しさをいただくことで、故人と過ごした日々を糧に、これからを生きていくことも、遺された者の使命であると感じ、少しずつではありますが、我が子と力を合わせ、前へ向かっていこうと思えるようになり始めた今日この頃でございます」と述べられ、謝辞を締めくくりました。
今回の新たな合葬者は4人で、その内訳は、教職員2人、教育関係者2人です。
教育現場では、常態化する長時間労働や激務の中で、心身の健康がむしばまれた結果、亡くなられる教職員が増えています。病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等はもとより、多忙な状況の解消や長時間労働の是正がなによりも求められています。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 教育関係者 | 特別合葬 |
交通事故 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 |
教育活動中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
病死 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
その他 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建てられたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。
第85回教育祭は、新型コロナウイルス感染症拡大防止対策のため、10月25日(日)、事務局のみでの開催とし、今回は新たに4人が合葬され、合葬者総数は27,273人となりました。
10時からはじまった祭典では、主催者を代表して、清水秀行日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。そこでは、世界的な規模で感染が拡大した新型コロナウイルスにより、学校では年度末の一斉休業や分散登校、学校再開後の感染予防対策の徹底や様々な行事等が延期・中止になるなど、子どもたちの学びの機会が失われていることに触れ、引き続き感染拡大対策という国民生活における喫緊かつ最重要な課題への対応が求められると述べました。
そして東日本大震災から9年半、熊本地震から4年半が経過した現在も復興への道のりは未だ途上にあり、転居先、転校先での暮らしを余儀なくされている子どもや、放射線の影響に不安をいだきながら学校生活を送らなければならない子どもたちに対し、寄り添い続けなければならないことを再度確認しました。また今年も、豪雨災害や台風など、頻発する自然災害により尊い命が失われており、そのような自然災害や危機的事故などに対処するとともに、新型コロナウイルス感染拡大という国家的危機を克服し、収束後の社会像として、安心で持続可能な社会につながる日本社会のあり方、生活のあり方を根本から問い直し、すべての子どもたちが安心して暮らし、学ぶことができる社会を創造していかなければならないと述べました。
今年度は、ご遺族やご関係のみなさまにお越しいただいて追悼のお言葉をいただくことはかないませんでしたが、来年度は例年通りの開催ができることを祈りながら、第85回教育祭は終了しました。
今回の新たな合葬者は4人で、その内訳は、教職員3人、教育関係者1人です。
教育現場では、常態化する長時間労働や激務の中で、心身の健康がむしばまれた結果、亡くなられる教職員が増えています。病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等はもとより、多忙な状況の解消や長時間労働の是正がなによりも求められています。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 特別合葬 |
交通事故 | 0 | 0 | 0 | 0 |
教育活動中 | 1 | 0 | 0 | 0 |
病死 | 2 | 0 | 1 | 0 |
その他 | 0 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建てられたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。
第84回教育祭は10月27日(日)に開催され、全国各地から600人の参列がありました。今回は、新たに4人が合葬され、合葬者総数は27,269人となりました。
10時からはじまった祭典では、主催者を代表して、岡島真砂樹日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。そこでは、前年に続き豪雨、台風が多発し甚大な被害をもたらしており、とりわけ9月の台風15号による家屋への被害や停電・断水など日常生活に支障をきたす状況が長く続いていることにふれ、今もなお不自由な生活を余儀なくされている方々に対しお見舞いの言葉を述べました。また、東日本大震災から8年半、熊本地震から3年半が経過した現在も復興への道のりは未だ途上にあり、転居先、転校先での暮らしを余儀なくされている子どもや、放射線の影響に不安をいだきながら学校生活を送らなければならない子どもたちに対し、寄り添い続けなければならないことを改めて確認しました。教職員の長時間労働の実態については、教職員の働き方は子どもとの関わりや学びにも影響を及ぼすものであることから、「学校における働き方改革」が学校現場で実感できるものとなるよう、実効性のある方策を求め、とりくみをすすめていく決意を述べました。
今回合葬された奥村さんの同僚として、前田さんが追悼の詞を述べました。高校3年生の担任、また学年主任として生徒の進路指導や入学試験準備等の業務に追われていた奥村さんが倒れた日のことについて、前田さんは、「奥村先生が倒れて病院に運ばれたと聞いても、また元気になって今までと同じ日常に戻るものだと信じていました。しかし、その後容体が悪化し、お亡くなりになられたとき、その事実を受け入れることができませんでした。お葬式のときにもまだ心のどこかで冗談なのではないかと感じていました」と突然の別れに無念の意を表しました。また、「生徒一人ひとりに対して親身になって話を聞き、進路相談にのる姿はとても印象的でした。そのおかげで多くの生徒が自信を持ち、就職に、進学にと自分の進路を決定できたのだと思います。3年生の担任として、卒業式を無事に終えたときには多くの生徒が奥村先生に感謝の念を抱いたでしょう。その証拠に、お別れには会場に座りきれないほどの生徒や卒業生が集まりました」と述べ、生徒からの信頼が厚かった奥村さんを偲びました。また2年間同じ学年団として多くの時間をともにした前田さんたち教職員も、奥村さんから多くを学び、支えられてきたと振り返りました。最後に、「私たちは奥村先生との楽しい思い出を心に、頑張っていこうと思います。これからも、いつもの優しい笑顔で見守ってほしいと願っています。奥村先生、本当にありがとうございました」と感謝の言葉を述べました。
また、遺族を代表し、近藤さんが謝辞を述べました。教職員として、かねてから疾病を患いながらも毎年参加していた太平洋戦争沖縄戦の勉強会から戻った直後にインフルエンザに罹患し、それが原因で他界したお父さまについて、近藤さんは、「私は大学に通っており同じ頃にインフルエンザにかかって、寝込んでいた時に弟から連絡があり、父が亡くなったことを知りました。今年の年末年始に帰省し、戻る際に、父が「もう帰るのか。」といつもより寂しそうに言ったのを今も鮮明に覚えております。父はいつももう長くないぞ、と冗談で言っておりましたが、今回ばかりは死期を悟っていたのかもしれません」と、父親との最後の会話の様子を述べました。また「物欲はなく、お金はほとんど誰かへの贈り物や差し入れに使っていた」という近藤さんに対し、同じ職場で勤務した方々から「新任の頃、大変気遣っていただいてという言葉をたくさんいただき、仕事場での父親は常に周りに気を配っていたことを知りました」と、在りし日のお父さまを偲びました。また、障害のある子どもたちの長所の見つけ方や、保護者への配慮など、学んだことも多く、「そんな大きい父親の背中を追いかけて、私も父親のような生き方をしたいと思っております」と今後への思いを述べました。最後に、「遺族には、何年経っても語りつくせぬ思いや無念の思いが胸の中に渦巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、しっかりと前を向いて生きていく所存でございます」と述べ、謝辞を締めくくりました。
今回の新たな合葬者は7人で、その内訳は、教職員5人、児童・生徒1人、教育関係者1人です。
児童・生徒については、学校の教育活動等の疲労の蓄積により亡くなられています。すべての子どもたちのゆたかな学びや育ちを保障するための環境づくりを、保護者・地域・教職員が一体となってすすめていくことがとても大切です。
また、教育現場では、常態化する多忙な状況や激務の中で無理を重ね、心身の健康破壊がすすんだ結果、亡くなられる教職員が増えています。病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等はもとより、多忙な状況の解消や長時間労働の是正が何よりも求められています。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 特別合葬 |
交通事故 | 1 | 0 | 0 | 0 |
教育活動中 | 3 | 0 | 0 | 0 |
病死 | 1 | 0 | 1 | 0 |
その他 | 0 | 1 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建てられたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。
第83回教育祭は10月28日(日)に開催され、全国各地から520人が参列しました。今回は、新たに7人が合葬され、合葬者総数は27,265人となりました。
10時からはじまった祭典では、主催者を代表して、岡島真砂樹日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。そこでは、6月の大阪北部地震、7月の西日本豪雨、9月の台風21号、北海道胆振東部地震と多くの自然災害が甚大な被害をもたらしたこと、また、発生から7年半が経過した東日本大震災、2年半が経過した熊本地震の復興への道のりもいまだ半ばにある中で、「日本社会のあり方、私たちの生活のあり方を根本から問い直し、すべての子どもたちが安心して暮らし、学ぶことができる社会を創造していかなければなりません」と述べました。また、社会問題となっている深刻な教職員の長時間労働の実態についても、学校現場の働き方の抜本的な見直しを求めるとともに、長時間労働の是正にむけた実効性ある具体的とりくみをすすめていくことを誓いました。
今回合葬された伊井さんとともに働いた教職員の代表として、辰尾さんが追悼の詞を述べました。中学3年生の担任として、熱心に進路指導や教科指導にとりくむとともに、ソフトテニス部の顧問として、部活動の指導にもあたっていた最中に倒れた伊井さんに対し、辰尾さんは「伊井先生は、教員としての資質も高く、担任としてだけでなく、教科指導の中心や学年全体の生徒指導も含めて、時間を惜しまず生徒に関わっていただきました。そんな矢先の突然の不幸となり、今でも、たいへん辛く、胸が裂ける思いです」と述べました。また、朝7時以前に出勤、午後8時や9時の帰宅が当たり前であったことや、土日も部活動があり、倒れる日までの6ヶ月の間の月当たりの時間外労働時間が100~130時間に及んでいたことに言及し、「私自身、もっと、もっと、気配りをして、小さい変化でも、気づいてあげることができなかったかと、今も思い続けています」と無念の意を表しました。その後、伊井さんの死が発端となり、県内の教職員の勤務環境の改善にむけた大きなうねりが起こりはじめたことにふれ、「今後は、県内ばかりでなく、全国へも影響し、教職員のよりよい勤務環境の実現へと、結びついていくと思っています。伊井先生、改めて言います。本当にご苦労様でした。また、ありがとうございました」と別れの言葉を述べました。
また、遺族を代表し、藤本さんが謝辞を述べました。北海道教職員組合中央執行委員長や日本教職員組合中央執行委員長等を歴任し、2018年に他界した榊原長一さんについて、藤本さんは「父は北海道教職員組合時代に肺がんを患い、その後の人生は病気への恐怖とともに生きた人生でもありました。晩年には食道がんが見つかり、過去の治療の影響もあってか様々な病気を併発しました。しかし父は懸命のリハビリを続け、声を取り戻し、食事やお酒を嗜むまでに回復した時期もありました。しかしながら、命の灯火が尽きぬよう様々な努力を重ねてきた人生も、病には勝つことが出来ませんでした」と語りました。また、「父が亡くなった後、部屋の引き出しを開いてみると、『万が一の時』という手書きの手紙が残されていました。葬儀のこと、周囲への連絡、自身の略歴などが事細かく書かれており、残された者が困らないようにその後の対応を詳細に記していたのは父らしいなと感じました」と、晩年まで北海道や日本の教育のため尽力した榊原さんを偲びました。最後に「遺族には、何年経っても語りつくせぬ思いや無念の思いが胸の中に渦巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、これからを生きて行こうと思います」と述べました。
今回の新たな合葬者は4人で、その内訳は、教職員1人、教育関係者3人です。
教育現場では、常態化する多忙な状況や激務の中で無理を重ね、心身の健康破壊がすすんだ結果、亡くなられた教職員も少なくありません。多忙な状況の解消はもとより、病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等が求められています。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 特別合葬 |
交通事故 | 0 | 0 | 0 | 0 |
教育活動中 | 1 | 0 | 0 | 0 |
病死 | 0 | 0 | 3 | 0 |
その他 | 0 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建てられたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。
第82回教育祭は10月29日(日)に開催され、全国各地から450人が参列しました。今回は、新たに4人が合葬され、合葬者総数は27,258人となりました。
10時からはじまった祭典では、主催者を代表して、泉雄一郎日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。その中では「東日本大震災から6年半、熊本地震から1年半が経過した現在も、故郷を離れ、転居先、転校先での暮らしを余儀なくされている子どもや、放射線の影響に恐怖をいだきながら学校生活を送らなければならない多くの子どもたちがおり、私たちはこうした子どもたちに寄り添い続けなければなりません」と述べました。そして引き続き「子どもや教職員の心のケア、子ども・保護者・地域住民を守る避難所としての学校とその教育環境のあり方や、自然災害の教訓に学ぶ創造的教育実践の深化に努めていく」ことを誓いました。また、教職員の長時間労働の実態についても、その是正にむけとりくみをすすめていく決意を示しました。
今回合葬された上ノ山さんとともに働いた教職員の代表として、佐々木さんが追悼の詞を述べました。常に深い愛情と信念を持って子どもたちに接し、最後の勤務校となった学校でも、上ノ山さんは子どもたちとともに全力で文化祭の合唱や部活動にとりくんでいたことに触れ、佐々木さんは「思いが子どもたちにしっかりと届いている場面は、数え上げればきりがありません」と在りし日の上ノ山さんを偲びました。また、引率の海外派遣から戻って間もなく帰らぬ人となった上ノ山さんに対し、「休日にゆっくりと休めることはほとんどなかったと伺っています。常に子どもたちや職場の仲間のことを一番に考え、ご自分の健康に気を配るゆとりがなかったのかもしれません。今となっては、無念でなりません」と無念の意を表しました。最後に、「あなたは、子どもたちだけでなく職場の仲間にとっても大きな支えでした。わたしたちは、あなたの分まで子どもたちのために精一杯努力していきます。教え子たちも、あなたの深い愛情を心に持ち、今度は伝える側となって歩んでいくことと思います。わたしたちを見守っていてください」と述べました。
また、遺族を代表し、楠本さんが謝辞を述べました。大阪府教職員組合中央執行委員長として活躍していた半ばで体調を崩し、2016年に他界した楠本匡さんについて、「ほとんど家にはおらず、部活や仕事に忙しそうな父ではありましたが、そんな父から自然と学び誇りに思っていることがあります。私は差別が大嫌いです。幼少期、支援学校など様々な学校に連れて行ってくれました。お前とこの子は何がちがう?と聞かれ、意味が分からなかったのを覚えています。父の正義感、人間性は私に刻まれているのだと思います。私は教育の現場に携わってはいませんが、今後揺るがないこの想いをもってこれからも邁進したいと思っております」と語りました。最後に「遺族には、何年経っても語りつくせぬ思いや無念の思いが胸の中に渦巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、これからを生きて行こうと思います」と述べました。
今回の新たな合葬者は9人で、その内訳は、教職員3人、教育関係者6人です。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 特別合葬 |
交通事故 | 3 | 0 | 0 | 0 |
教育活動中 | 0 | 0 | 0 | 0 |
病死 | 0 | 0 | 7 | 0 |
その他 | 0 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建立されたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。
第81回教育祭は10月30日(日)に開催され、全国各地から750人の参列がありました。今回は、新たに9人が合葬され、合葬者総数は27,254人となりました。
10時からはじまった祭典では、主催者を代表して岡島真砂樹日本教職員組合中央執行副委員長が追悼の詞を述べました。その中で、「多くの自然災害等が発生し、4月の熊本・大分地震、8月の岩手県、北海道を襲った台風10号などにより、多くの方々が亡くなられたことに対し、ご冥福をお祈りするとともに、自然災害を食い止めることは難しいことではあっても、このような被害は『二度と繰り返してはならない』という決意をあらためて共有し、ましてや人間が生み出してしまう惨禍については、より一層その思いを強くしたい」と述べました。また、「福島での原発事故が未だ深刻な影響を残す中にあって、多くの子どもたちが故郷を離れ、転校や転居を余儀なくされている事実や、放射線の影響の恐怖を抱きながら学校生活を送らねばならない子どもたちの姿をしっかり受け止め、福島で起こった事実に正面から向き合い、日本社会のあり方、私たちの生活のあり方を根本から見直し、子どもたちが安心して学び暮らすことができる社会を創らなければならない。子どもたちが主人公である学校、その成長を支援する教職員と保護者が協力し合い、ともに学びともに支え合う教育を創りあげ、安心して生活し、学び続けられる生活環境・学習環境を整備することが私たち教育関係者の使命であり、その実現に向け全力でとりくんでいく」ことをあらためて誓いました。
今回合葬された、内田さん、上野さんが所属していた教職員組合の笹本さんは、教職員を代表して追悼の詞を述べました。内田さんは、戦後の混乱の中、「行動を通して学ぶ」体験学習に情熱を持ってとりくみ、退職後も地区の区長や市の選挙管理委員長として地域の発展のために寄与されたこと、上野さんは「師弟同行」をモットーに、子どもたちと常に寄り添い、また退職後も市の教育委員長を務めるなど地域教育の充実・発展に寄与されたと述べました。また、「お二人とも、教職に就かれ退職されて以降も、『人』のために尽力された。現在、複雑化し、様々な課題を抱えている教育現場においても、お二人が実践してこられた『子どもたちのため』、そして『地域のため』に力を尽くすことがより重視されなければならず、お二人の実績をこれからもしっかり受け継ぎ、努力していくことを誓います」と述べました。
遺族を代表して、樋口さんは、故人に対し、「夫の仕事はハードで、病気も長く、苦しいものでしたが、皆様に支えられながら活躍の場をたくさん与えていただき、温かい雰囲気の中で仲間とも交流し、仕事もともにさせてもらえて、本人も本望だったのではないかと思います」と語りました。最後に「遺族には、何年経っても語りつくせぬ思いや無念の思いが胸の中に渦巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、これからを生きて行こうと思います」と述べました。
今回の新たな合葬者は12人で、その内訳は、教職員4人、児童・生徒1人、教育関係者7人です。
児童・生徒については、登校途中の交通事故で亡くなられています。すべての子どもたちが安心・安全に登下校できる通学路の確保を、保護者・地域・教職員が一体となってすすめていくことがとても大切です。
また、教育現場では、常態化する多忙な状況や激務の中で無理を重ね、心身の健康破壊がすすんだ結果、亡くなられた教職員も少なくありません。多忙な状況の解消はもとより、病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等が求められています。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 特別合葬 |
交通事故 | 1 | 1 | 0 | 0 |
教育活動中 | 2 | 0 | 0 | 0 |
病死 | 1 | 0 | 7 | 0 |
その他 | 0 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1934年の室戸台風で未来への道が閉ざされてしまった多くの子ども・教職員を追悼し、その名を永くとどめるために建立されたのが教育塔です。それを契機に、教育に関わる活動で尊い生命を失った子ども、教職員、教育関係者の方々を心から追悼し、その名を永くとどめ、不幸な出来事が再び起こらないことを願って執り行われてきたのが教育祭です。
第80回教育祭は10月25日(日)に開催され、全国各地から750人の参列がありました。今回は、新たに12人が合葬され、合葬者総数は27,245人となりました。
10時からはじまった祭典では、主催者を代表して加藤良輔日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。その中で、「阪神淡路大震災から20年が経過した今日、幾多の試練を乗り越え復興を遂げられた被災地の方々の経験や、震災が子どもたちに与えた影響を教育課題として社会的に共有し、復興の中で重要な課題として捉えられた実践の数々などを踏まえ、私たちはその教訓と経験も活かしながら、東日本大震災からの復興を果たしていかなければなりません」と述べました。また「戦後70年を迎えた本年は、改めて『平和』の意味を考えさせられる一年でもあった。平和学の創始者ヨハン・ガルトゥイング博士が提唱した『積極的平和』の意味を考えたとき、すべての子どもたちが学校で安心して学べる状況をつくり出していくことが、私たちにとっての『積極的平和』なのではないか。子どもたちが主人公である学校、その成長を支援する教職員と保護者が手をつなぎあい、共に学び共に支えあう教育を創りあげ、安心して生活し、学び続けられる生活環境・学習環境を整備することに全力でとりくんでいく」ことをあらためて誓いました。
今回合葬された、内記さんの同僚の久保田さんは、教職員を代表して追悼の詞を述べました。久保田さんは、内記さんが子どもたちのことを第一に考え教育活動にとりくんできた生前の様子を語りました。特に、理科の専門性を生かし、子どもたちにとって学習をより分かりやすくするために教材を開発したり、発問を工夫したりしたこと、理科クラブでは、楽しい活動を重視して、さまざまな実験用具・器具等を準備し、実験に備えていたことなどを挙げ、「仕事や健康面について、もっと声がけをしていたらと本当に悔やまれます」と述べました。そして、「あなたの功績と名前は、一緒に過ごした私たちの心の中に、そして学校の中に生き続けることでしょう」と在りし日の内記さんの姿を偲ぶ思いが述べられました。また、「私たち教職員は、教育という営みを通して、平和を守り、命を大切にする社会、日本を創り上げていくことを誓います」と述べました。
2014年8月に56歳の若さで他界した門脇さんのご子息である史さんは、遺族を代表して謝辞を述べました。史さんは、生前父から「人は、偉くなればなるほど、どうしても上から目線で尊大な態度をとる人が多い。しかし、偉くなればなるほど、自分の仕事はより多くの方々に支えていただいて成り立っている。だからこそ、偉くなればなるほど、より多くの方々に感謝の気持ちを持ちながら生活すべき」ことを教わったと話し、「今後社会人として『実るほど首を垂れる稲穂かな』という言葉をモットーに生活していきたい」と語りました。最後に「遺族には、何年経っても語りつくせぬ思いや無念の思いが胸の中に渦巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、しっかりと生きていく所存でございます」と述べました。
今回の新たな合葬者は12人で、その内訳は、教職員5人、児童・生徒2人、教育関係者4人、特別合葬1人です。
児童・生徒については、部活動など学校の教育活動等の疲労の蓄積により亡くなられています。すべての子どもたちのゆたかな学びや育ちを保障するための環境づくりを、保護者・地域・教職員が一体となってすすめていくことがとても大切です。
また、教育現場では、常態化する多忙な状況や激務の中で無理を重ね、心身の健康破壊がすすんだ結果、亡くなられた教職員も少なくありません。多忙な状況の解消はもとより、病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等が求められています。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 特別合葬 |
交通事故 | 1 | 2 | 0 | 0 |
教育活動中 | 1 | 0 | 0 | 0 |
病死 | 3 | 0 | 3 | 0 |
その他 | 0 | 0 | 1 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 1 |
第79回教育祭は10月26日(日)に挙行され、全国各地から750人が参列しました。今回は新たに12人が合葬され、合葬者の総数は27,233人となりました。
10時からはじまった祭典では、主催者を代表して加藤良輔日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。その中で加藤委員長は、「子どもたちが主人公である学校、その成長を支援する教職員と保護者が手をつなぎ会い、共に学び共に支えあう教育を創りあげ、安心して生活し、学び続けられる生活環境・学習環境を整備することが私たちの使命」と強調し、教育関係者はもとより、すべてのおとなが協力し、助け合い、その実現にむけて全力でとりくんでいくことをあらためて誓いました。
伊東さんの同僚の種市さんは、教職員を代表して追悼の詞を述べました。種市さんは、用務員であった伊藤さんが、大雪が降った日曜日、休日であるにも関わらず「次の日の朝、子どもたちや職員が少しでも大変な思いをせず校舎に入れるように」と一人で雪かきをして校門からの道を作ってくれたことなど、自分のことよりまず子どもたちや職員、学校のことを考えて働いてくれた伊藤さんの生前の様子を語りました。その上で「あなたの名前と功績は、一緒の時をともに過ごした私たちの心の中に、そして学校に生き続けることでしょう」と在りし日の伊藤さんの姿を偲ぶとともに、「私たち教職員は教育という崇高な営みを通して、平和を守り、命を大切にする社会を創り上げていくことを真に誓う」と追悼の詞を述べました。
中学校の英語の先生になることを目標に勉学に励んでいた大地さんのお父さまは、「多くの方々より心温まる追悼の詞を頂戴致しまして、遺族一同、深い悲しみの中ではありますが、感謝の気持ちで一杯です」と、遺族を代表して謝辞を述べました。
大学2回生だった大地さんを留学先のニュージーランドで失い、願いが2つ叶えられるならば、1つは、2人で一緒にお酒を飲みながら「私がなぜ教員になったのか」「なぜお母さんと結婚したのか」を話したかったと、もう1つは、大地さんが教育実習で英語の授業をしている姿を教室の後ろから見たかったと、心の内を語りました。そして「遺族には、何年経っても語りつくせぬ思いや無念の思いが胸の中に渦巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、しっかりと生きていく所存でございます」と述べました。
今回の新たな合葬者は24人で、その内訳は、教職員8人、児童・生徒2人、教育関係者2人、特別合葬12人です。
児童・生徒については、部活動など学校の教育活動等の疲労の蓄積により亡くなられています。すべての子どもたちのゆたかな学びや育ちを保障するための環境づくりを、保護者・地域・教職員が一体となってすすめていくことが重要です。
また、教育現場では、常態化する多忙化や激務の中で無理を重ね、心身の健康破壊がすすんだ結果、亡くなられた教職員も少なくありません。多忙化の解消はもとより、病気の早期発見・治療やメンタルヘルスの推進等が求められています。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 特別合葬 |
交通事故 | 1 | 0 | 0 | 0 |
教育活動中 | 2 | 1 | 0 | 0 |
病死 | 5 | 0 | 0 | 0 |
その他 | 0 | 1 | 2 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 12 |
第78回教育祭は10月27日(日)に挙行され、全国各地から750人が参列しました。今回は新たに24人が合葬され、合葬者の総数は27,221人となりました。
10時からはじまった祭典の冒頭、主催者を代表して加藤良輔日本教職員組合中央執行委員長が追悼の詞を述べました。その中で加藤委員長は、「子どもたちが主人公である学校、その成長を支援する教職員と保護者が手をつなぎ会い、共に学び共に支えあう教育を創りあげ、安心して生活し、学び続けられる生活環境・学習環境を整備することが私たちの使命だ」と強調し、教育関係者はもとより、すべてのおとなが協力し、助け合い、その実現にむけ、引き続き全力でとりくんでいくことを誓いました。
工藤さんの同僚の松村さんは、教職員を代表して追悼の詞を述べました。松村さんは、まず、学校内外の激務の中、教育に対する強い責任と情熱を抱いて、子どもたちのことを第一に考えながら寝る間も惜しんで日々邁進していた工藤さんの生前の様子を語りました。その上で、「あなたと時間をともにした教職員は、あなたが命と引き換えにまで大切にしようとした教育への熱い情熱を引継ぎました。私たちは教育現場において、教育という崇高な営みを通し、子どもたちの命を守るという最も大切な使命を決して忘れることなく、誰もがより安心し、安全に生活していける平和な日本を創り上げていくことを心から誓います」と述べました。
中学生時代に野球部の主将を務めた得能さんは、当時コーチであった柏原先生とのふれあいの中で、人生において大切なことをたくさん教えてもらい、「人間として大きく成長させてもらえました」と熱く語りました。また、常に感謝の気持ちを大切にし続ける柏原先生との出会いがきっかけで、現在、大学で教員をめざして勉強していることを報告し、「これからも先生に教えていただいたことを大切にしながら、必ず先生のように、生徒から感謝されるだけでなく、生徒に感謝できる先生になります」と、お別れの言葉を述べました。
最後に、村上さんが遺族を代表して謝辞を述べました。東日本大震災時に、所属する教育事務所から防災庁舎に派遣され被災した宏規さんの父である村上さんは、「多くの方々より心温まる追悼の詞を頂戴致しまして、遺族一同、深い悲しみの中ではありますが、感謝の気持ちで一杯です」と、遺族を代表して謝辞を述べました。その中で、結婚式の日取りも決まっていた宏規さんは現在も行方不明であるものの、34歳の誕生日を区切りに葬儀を行ったけれども埋葬はできず、「息子が帰ってくることを信じて待っていたい」と心の内を語りました。そして「遺族には、何年経っても語りつくせぬ思いや無念の思いが胸の中に渦巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所として、しっかりと生きていきます」と述べました。
今回の新たな合葬者の内訳は教職員が11人、児童・生徒が2人、教育関係者が1人、特別合葬が38人です。
児童・生徒については、登校途中の交通事故により亡くなられています。安心・安全な社会の実現のために保護者・地域・教職員の協力が必要です。
多くの教職員が常態化する多忙化や教育現場の激務の中で無理を重ね、心身の健康破壊がすすんだ結果、11人が亡くなられています。多忙化解消、病気の早期発見・治療をすること、メンタルヘルス・ケアの推進が求められます。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 特別合葬 |
交通事故 | 0 | 1 | 0 | 0 |
教育活動中 | 1 | 1 | 0 | 0 |
病死 | 10 | 0 | 1 | 0 |
その他 | 0 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 38 |
第77回教育祭が10月28日(日)大阪城公園内の教育塔前で行われ、全国各地から900人が参列しました。今回はあらたに52人が合葬され、合葬者の総数は27,197人となりました。
主催者を代表して、加藤良輔日本教職員組合中央執行委員長は「台風という自然災害による被害から始まった教育祭で、今また震災の被害者を追悼することとなりました。私たちは悲しみとともに、自然災害を食い止めることはできなくとも、このような被害は『二度と繰り返してはならない』という決意を共有したいと思います。
私たちは、『自ら考え、自ら判断し、自らの生命は自らが守る』教育の徹底をはかっていかなければなりません。
子どもたちを慈しみ育むことが出来る社会こそ未来につながる社会です。そうであるからこそ東京電力福島第一原子力発電所の事故が未だ深刻な影響を残す中にあって、多くの子どもたちが故郷を離れ転校や転居を余儀なくされている事実や、放射線の影響の恐怖を抱きながら学校生活を送らなくてはならない子どもたちの姿から目をそらすことはできません。
福島で起こった事実から目をそらすことなく、日本社会のあり方、私たちの生活のあり方を根本から見直し、子どもたちが安心して学び暮らすことができる社会を創らなくてはなりません。
子どもたちが主人公である学校、その成長を支援する教職員と保護者が手をつなぎ合い、共に学び共に支えあう教育を創りあげ、安心して生活し、学び続けられる生活環境・学習環境を整備することが私たちの使命です。そのために教育関係者はもとより、全てのおとなが協力し、助け合い、その実現にむけ全力でとりくんでいくことを、改めてこの場でお誓いいたします。」と追悼の詞を述べました。
教職員代表の追悼の詞は柿澤さんの同僚の井出さんが、柿澤さんの生前のとりくみを語り「年を重ねても子どもに向き合う姿勢は変わらず、常に教材研究しながら子どもたちがどうしたらわかるようになるだろうか、素直な表現ができるだろうかと考えているあなたの姿に、経験に頼ってしまっている私は襟を正される思いでした。朝早くから夜遅くまでひたすら学校のために子どもたちのために走り続けた柿澤さん、本当に本当にごくろうさまでした。」と述べました。
児童・生徒代表は、亡くなった櫻井さんと小林さんの共通の友人の菅原さんが、「『震災』という言葉を聞くと、どうしても悲しく考えてしまって、事実と向き合えず、逃げ出したくなってしまいます。しかし、そんな私達の姿を見ても、二人は喜んではくれないでしょうね。だから私は(櫻井さん)に負けないくらい笑顔で明るく、(小林さん)に負けないくらい人に優しくして過ごしていきたいと思います。」とお別れのことばを述べました。
最後に遺族代表の謝辞では、曽根さんが、「遺族には何年経っても語り尽くせぬ思いや無念の思いが胸の中に渦を巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にしてしっかりと前を向いて生きていく所存でございます。」と述べました。
今回の新たな合葬者の内訳は教職員が7人、教育関係者が3名です。
児童・生徒については、登校途中の交通事故により亡くなられています。安心・安全な社会の実現のために保護者・地域・教職員の協力が必要です。
多くの教職員が常態化する多忙化や教育現場の激務の中で無理を重ね、心身の健康破壊がすすんだ結果、7人が亡くなられています。多忙化解消、病気の早期発見・治療をすること、メンタルヘルス・ケアの推進が求められます。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 特別合葬 |
交通事故 | 0 | 0 | 0 | 0 |
教育活動中 | 0 | 0 | 0 | 0 |
病死 | 6 | 0 | 3 | 0 |
その他 | 1 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 |
第76回教育祭が10月23日(日)大阪城公園内の教育塔前で行われ、全国各地から500人が参列しました。今回はあらたに10人が合葬され、合葬者の総数は27,145人となりました。
主催者を代表して、中村讓日本教職員組合中央執行委員長は「今日、私たちを取り巻く環境は、全世界、地球規模での大災害に襲われるなど、決して安全で、安心のできるものではありません。地震や風水害などの自然災害や火災、交通事故などの人的災害、インフルエンザなどの新たなウィルスなどさまざまです。
子どもたちを慈しみ育むことが出来る社会こそが未来を拓きます。子どもたちが主人公である学校、その成長を支援する教職員と応援する保護者とが手をつなぎ合い、共に学び、共に成長する教育環境と生活環境を整備することが私たちの使命です。そのために教育関係者はもとより、すべてのおとなが協力し、助け合い、その実現に努めることをお誓いいたします。」と追悼の詞を述べました。
教職員代表の追悼の詞は南さんの元同僚の安川さんが、南さんの生前のとりくみを語り「晩年に至るまで驕ることなく、毎日こつこつと生きてきた人生。南先生の尊さはいつまでも輝き続けるでしょう。それは南先生を知る多くの人の胸の中で決して色あせることなく。」と述べました。
児童・生徒代表は、亡くなった西村さんの教え子の住吉さんが「校長先生はいつでも私たちのことを一番に考えてくれました。私たちはそんな校長先生が大好きでした。これからもずっと私たちを見守っていてください。西村校長先生、本当にありがとうございました。」とお別れのことばを述べました。
最後に遺族代表の謝辞では、槇枝一臣さんが、「私たちは、子どもたちが安心して、健やかに成長できる環境づくりに英知を結集して努力することが求められています。教育に関係するすべての方たちによって、少しでもそうした環境が整えられるよう祈って止みません。」と述べました。
今回の新たな合葬者の内訳は児童・生徒が1人、教職員が8人です。
児童・生徒については、登校途中の交通事故により亡くなられています。安心・安全な社会の実現のために保護者・地域・教職員の協力が必要です。
多くの教職員が常態化する多忙化や教育現場の激務の中で無理を重ね、心身の健康破壊がすすんだ結果、8人が亡くなられています。多忙化解消、病気の早期発見・治療をすること、メンタルヘルス・ケアの推進が求められます。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 特別合葬 |
交通事故 | 0 | 1 | 0 | 0 |
教育活動中 | 0 | 0 | 0 | 0 |
病死 | 8 | 0 | 0 | 0 |
その他 | 0 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 |
第75回教育祭が10月31日(日)大阪城公園内の教育塔前で行われ、全国各地から850人が参列しました。今回はあらたに9人が合葬され、合葬者の総数は27,135人となりました。
主催者を代表して、中村讓日本教職員組合中央執行委員長は「今日、私たちを取り巻く環境は、決して安全で、安心のできるものではありません。地震や風水害などの自然災害や火災、交通事故などの人的災害、インフルエンザなどの新たなウィルスなどさまざまです。
子どもたちを慈しみ育むことが出来る社会こそが未来を拓きます。子どもたちが主人公である学校、その成長を支援する教職員と応援する保護者とが手をつなぎ合い、共に学び、共に成長する教育環境と生活環境を整備することが私たちの使命です。そのために教育関係者はもとより、すべてのおとなが協力し、助け合い、その実現に努めることをお誓いいたします。」と追悼の詞を述べました。
教職員代表の追悼の詞は皆木さんの元同僚の中村さんが、「私たち教職員は、教育という営みをとおして、平和を守り、命を大切にする社会、日本を作り上げていくことをお誓い申し上げます。」と述べました。
児童・生徒代表は、亡くなった今中さんの教え子の橋本さんと入江さんが「今中先生と過ごした日々は、一生忘れません。あの日一緒に乗り越えたコンクールや、毎日の合奏やきつい練習、先生が誉めてくれた事、一緒に笑い合った事、今では全部、良い思い出です。先生の生徒で本当に良かったです。」とお別れのことばを述べました。
最後に遺族代表の堀田さんが、益男さんの生前のとりくみを語り「あなたの不屈の精神にならい、力強く行動していきます。」と謝辞を述べました。
今回の新たな合葬者の内訳は児童・生徒が3人、教職員が18人です。
児童・生徒については、交通事故・水泳の授業中の事故・難病により3人が亡くなられています。安心・安全な社会の実現のために保護者・地域・教職員の協力が必要です。
多くの教職員が常態化する多忙化や教育現場の激務の中で無理を重ね、心身の健康破壊がすすんだ結果、18人が亡くなられています。病気になられていると推察されます。多忙化解消、病気の早期発見・治療をすること、メンタルヘルス・ケアの推進が求められます。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 特別合葬 |
交通事故 | 0 | 1 | 0 | 0 |
教育活動中 | 0 | 1 | 0 | 0 |
病死 | 18 | 1 | 0 | 0 |
その他 | 0 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 |
第74回教育祭が10月25日(日)大阪城公園内の教育塔前で行われ、全国各地から900人が参列しました。今回はあらたに21人が合葬され、合葬者の総数は27,126人となりました。
主催者を代表して、中村讓日本教職員組合中央執行委員長は「今日、子どもたちを取り巻く環境は、決して安全で安心のできるものではありません。地震や風水害などの自然災害や火災、交通事故などの人的災害、インフルエンザなどの新たなウィルスなどさまざまです。子どもたちを慈しみ育むことが出来る社会こそが未来を拓きます。
子どもたちが主人公である学校、その成長を支援する教職員と応援する保護者とが手をつなぎ合い、共に学び、共に成長する教育環境と生活環境を整備するために教育関係者はもとより、すべてのおとなが協力し、助け合い、その実現に努めることをお誓いいたします。」と追悼の詞を述べました。
教職員代表の追悼の詞は川村さんの公務災害認定に関わってきた元同僚の澤田さんが、「川村さんの死を心に刻み、自戒を込めて公務災害を起こさない、起こさせないためにこれからも努力します。」と述べました。
児童・生徒代表は、亡くなった梶原さんの友達の松永さんと與田さんが「ぼくたちが悲しい時、つらい時、だいじょうぶ?となぐさめてくれた。今度はぼくたちが笑顔のもとになってみんなを元気にしていきます。」とお別れのことばを述べました。
最後に遺族代表の田和さんが、卓郎さんの生前のとりくみを語り「遺族には何年経っても語りつくせぬ思いや、無念の思いが胸の中に渦巻いております。けれども、故人が残してくれた思い出やメッセージを心の拠り所にして、しっかりと前を向いていく所存です。」と謝辞を述べました。
今回新たな合葬者の内訳は、教職員が病気の発見、治療の手遅れなどにより9人が亡くなられています。児童・生徒については、交通事故、部活動の不慮の事故によって2人が亡くなられています。教職員は、ほとんどの方が教育現場での激務の中で無理を重ね、心身の健康破壊がすすみ結果として病気になられていると推察されます。職場における超勤解消が求められます。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 特別合葬 |
交通事故 | 0 | 1 | 0 | 0 |
教育活動中 | 1 | 1 | 0 | 0 |
病死 | 8 | 0 | 0 | 0 |
その他 | 0 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 |
第73回教育祭が10月26日(日)大阪城公園内の教育塔前で行われ、全国各地から雨の中900人が参列しました。教育祭は、不慮の事故・教育活動中に亡くなられた教職員、児童・生徒、教育関係者を追悼しています。
代表して、日本教職員組合中村 讓中央執行委員長は「地元大阪が先進的にすすめている歩道と車道を分ける「歩車分離式信号」の整備は全国的にまだまだです。交通事故の危険ばかりでなく、子どもを1人にさせては危ないので外出時に注意を与えたり、知らない人に道を尋ねられても応えてはいけないなどと、学校では指導せざるを得ない状況にあります」また「子どもたちは社会の希望です。その子どもたちを慈しみは育むことができる社会こそが、未来を拓きます。子どもたちが主人公である学校、その成長を支援する教職員と応援する保護者とが手をつなぎ合い、共に学び共に成長する教育を実現しなければなりません」と、追悼の詞を述べました。
児童・生徒代表では、お亡くなりになった前田さんの友人の平山さんから「幼稚園の時、地元のサッカーチームに入りだんだん仲良くなった。中学校では試合に出た時のことや、同じ高校でまた一緒にサッカーができて嬉しかったこと、いつも笑って周りのみんなを笑顔にするすごい人だった」とお別れの言葉を述べました。
最後に遺族代表の吉田さんは、「父は、中学校の社会科教員として生徒たちと寄り添いながら教育活動を行ってきたこと。お通夜には卒業生がかけつけ『先生のおかげで今の僕がある』と卒業生の言葉を聞き父の仕事を誇りに思います」と話され、遺族代表としての謝辞を述べられました。
今回は、教職員が交通事故・病気の発見や治療の手遅れなどにより12人が亡くなられています。児童・生徒については、病気や交通事故、部活動の不慮の事故によって5人が亡くなられています。教職員は、ほとんどの方が教育現場での激務の中で無理を重ね、心身の健康破壊がすすみ結果として病気になられていると推察されます。職場における超勤解消が求められます。
合葬 | 教 職 員 | 児童・生徒 | 保護者・校医 | 特別合葬 |
交通事故 | 1 | 1 | 0 | 0 |
教育活動中 | 1 | 2 | 0 | 0 |
病死 | 10 | 2 | 0 | 0 |
その他 | 0 | 0 | 0 | 0 |
地震災害 | 0 | 0 | 0 | 0 |
第72回教育祭が10月30日大阪城公園内の教育塔前で行われ、全国各地から1,000人が参列しました。教育祭は、不慮の事故・教育活動中に亡くなられた児童・生徒、教職員、教育関係者を追悼しています。
主催者を代表して、日教組森越中央執行委員長は「子どもたちは社会の希望です。その子どもたちを慈しみは育むことができる社会こそが、未来を拓きます。子どもたちが主人公である学校、その成長を支援する教職員と応援する保護者とが手をつなぎ合い、共に学び共に成長する教育を実現しなければなりません」と、追悼の詞を述べました。
教職員代表では、同僚の高村さんを亡くされた山口さんは「クラス替えがあり、なれない環境に不安を持っていた子どもたちに林間学校・運動会などの行事を通し、友だちの大切さ人としての優しさ、一生懸命やる大切さや楽しさを教えてくれました」と追悼の詞を述べました。
また、亡くなった佐藤さんの学友の皆さまからのお別れのことばを児玉さんが「あなたは自らの命でもって「生きる」ということと「死ぬ」ということを私たちに示してくれていました。私たち一人一人が自らの生を立派に全うしたあなたに勇気を与えられました。本当にありがとう」と代読をいただきました。
最後に遺族代表の碓井さんは、教育現場ではどんなにしんどい仕事でも、誰かが引き受けなくてはならないことや、亡くなられた夫のことを話され、遺族代表としての謝辞を述べられました。
教育祭は、毎年10月30日に開催してきましたが、近年「曜日」の関係でご出席できない方が多くなってまいりました。この状況を踏まえ教育塔管理委員会では、多くのご遺族の皆様のご出席がかなうよう、その方策について検討してまいりました。その結果、来年以降の教育祭より、10月の「最終日曜日」を開催日とすることを決定いたしましたので、ご案内申し上げます。